
アーティ スト紹介
作曲家オリヴィエ・フローリオのキャリアは多面的で、映画音楽といわゆる「現代音楽」の領域を、独自のペースで行き来しています。それは決して複雑で「難解」な音楽を指すものではなく、むしろ雰囲気や情感を大切にした、ひと言では定義しきれない音楽です。そのハイブリッドな音楽性はジャンルの枠を超え、ときにアコースティックとエレクトロニックの境界さえも曖昧にします。
キャリアの初期、彼の音楽は映像音楽の分野に共鳴点を見出し、スクリーンに奥行きと深みを与えてきました。しかしやがて、その表現は画面の枠を越え、音楽そのものが自律的に語る言説へと回帰していきます。
この「鏡のような対話」の中で、オリヴィエ・フローリオは、ほとんど精神分析的とも言える視点から、自身の音楽における新たな次元に向き合っています。それは、彼自身の内なる映画、彼自身の存在、そしてそれに伴う実存的な問いを映し出す、まるでひとつのサウンドトラックのようなものです。
スタイルではなく、感性
アン・ヴァレンティ - Cadenceinfo.com
オリヴィエ・フローリオは、ひとつの領域にとどまらない創作者だ。しかしそれは決して散漫さを意味するものではない。むしろ、その多面的な歩みは、作曲家自身が芸術的な閉塞の一形態と捉える「スタイルによる区分」を避けながら、独自の音のあり方を探り続けてきた姿勢の表れだ。彼は、過度に固定化されたモデルから距離を取り、自身の道を切り拓いてきた。弦楽四重奏、電子音楽、サウンドデザイン、オーケストラ、ピアノ、そして彼にとって意味を持つあらゆる音響素材を、自由に組み合わせていく。それらはやがて、イメージ性を帯びた感性豊かな音楽として結実し、やがて彼ならではの個性として定着していった。
インスピレーションの源は?
その源は多岐にわたります。坂本龍一、アンジェロ・バダラメンティ、クリント・マンセルといった作曲家たちは、彼の音楽的な視野を形づくる存在であると同時に、スティーヴ・ライヒ、ジョン・ケージ、ライバッハ、ナイン・インチ・ネイルズといったアーティストからも大きな影響を受けています。こうした音楽的影響に加え、現在のオリヴィエ・フローリオの創作に刺激を与えているのは、意識との関係をめぐる実験物理学の新たな動向、そこから派生する哲学的な思考、そして刷新された世界観そのものです。
音楽は意識への入り口なのか?
振動、情報、エネルギー。これらは今日、現実を捉えるための新たな科学的基盤として語られています。「物理学者トマス・ヤングによる二重スリット実験や量子もつれは、私たちにこれまでとは異なる現実の捉え方、その背後にある層の存在を示唆しています」と、オリヴィエ・フローリオは語ります。意識は、物質や生物組織の複雑さから生じるものではありません。むしろ意識こそが、物質、時間、空間を生み出し、そこから生物的な複雑さが立ち現れるのです。
振動、情報、エネルギー?
これらは、音楽から決して遠いものではありません。そしてオリヴィエ・フローリオは、そこからひとつの問いを導き出します。 音は、意識への入口となりうるのか。
「音楽を聴いていると、言葉や知性を超えて、深く触れられるように感じることはないでしょうか。それは、音楽が世界の振動と共鳴しているからです。そして、私たちの物質的な存在以前からある、繊細で振動的な次元と響き合っているのです。」
目に見えないものが突如として音として立ち現れる
こうした思索が、『KEL』や『AkashiK』など、彼の近年の作品の着想源となっています。
「Olivier Florio, Conceptuel」
オリヴィエ・フローリオ ― コンセプチュアル ベルカッセム・バルーリ (Rolling Stone Magazine 編集長)
コンセプチュアルさ、つまり意識的な選択
ここで言う「コンセプチュアル」とは、20世紀的な意味、すなわち音楽を理念や観念の側から捉え、その実体よりも〈思考〉を優先する姿勢を指すものではありません。 オリヴィエ・フローリオにとってのコンセプチュアルさとは、ひとつひとつを意識的に選び取ること、その選択の積み重ねによって音楽を形づくっていく姿勢そのものを意味します。
「すべては、ある状況の中にあります。それは、私たちの時代に寄り添うテクノロジーの世界です」と、オリヴィエ・フローリオは語ります。「現代を取り巻く状況や、その中で音楽がどのように在るべきかについて意見を交わす機会のあった作曲家・坂本龍一からの影響、次第に輪郭が曖昧になりつつある〈作品〉という考え方、情報社会そのもの、さらにはテクノロジー社会の中でこぼれ落ち、使われずに残っていくもの……。そうしたものが、時に音楽を書くための素材や着想になります。これらすべてが、私の創作の土台となっています。」
断片的な音、散らばった感覚、現実の不連続さ
私たちの時代は、都市環境とデジタル空間が重なり合うことで、日常がますます細分化されていく時代です。現代人は、都市の渦と絶え間ない情報の流れの中で、時間や空間を行き来しながら生きています。絶え間ない刺激、広告、通知、雑音が重なり合い、ひとつの瞬間に深く身を置くことが難しくなっています。安定した時間の感覚は薄れ、体験は断片的な出来事の連なりへと変わっていきます。
デジタル化は、この傾向をさらに加速させます。過剰なネット接続は時間を細かく分断し、会話は通知によって中断され、思考はアラートによって逸らされ、静寂は瞬時にデジタルな情報の流れに侵食されていきます。拡張現実や仮想現実もまた、私たちの生のあり方を静かに変えつつあります。
オリヴィエ・フローリオは、こうした強い遍在性が、体験の統一を妨げ、集中することそのものを困難にしていると考えています。「私たちは、時間や空間をますます断片化されたかたちで経験し、それは本来の内的な時間や自己の統一性と大きく乖離しています。そして、それは聴くという行為の時間性にも、確実に影響を与えています。」
コンセプト・アルバムという形式
こうした思考は、自然と〈コンセプト・アルバム〉という形式へとつながっていきます。「それは、この断片化された時代への、ひとつの答えでもあります」と、オリヴィエ・フローリオは語ります。彼の作品は、断片的に消費されることを前提としていません。ひと続きの流れとして聴かれることを想定し、書かれ、構成されています。今日の音楽の聴かれ方を特徴づける、プレイリスト的なあり方……
雑多な音が無秩序に並べられた、いわば音の寄せ集めとは対照的に、彼は作品同士のつながりに多くの時間を費やします。曲と曲を丁寧につなぎ合わせ、時には書き直しを行いながら、映画の場面が自然に連なっていくような流れをつくり出します。そこには、聴き手を導く一本の軸、ひとつの思考が通っています。
たとえば『KEL』では、現代社会、産業、汚染が生み出す「塵」がテーマとなり、それが同時に、私たちの思考や日々に静かに積もっていく〈心の塵〉として描かれます。
『AkashiK』では、現実の持つ振動的・情報的な側面について思索が巡らされます。それぞれの作品は、私たちの世界の捉え方に問いを投げかけ、奥行きを与える試みでもあります。
創作とは世界に問いかけること
「世界が波であると考えるなら、音楽を創作することは世界とコミュニケーションを取ること、いやむしろ世界と交感することに等しい」と、オリヴィエ・フローリオは語ります。「ここ数年、音楽を少し違った形で聴くことを提案してきました。単なる感情や娯楽としてではなく、現実や意識を探る手段、感覚的な探究としてです。私は、まったく異なる音楽的世界同士を結びつけ、それらを深い問いの中に据えることを大切にしています。ほとんど哲学的とも言える問い、世界、テクノロジー、現実との関係に関する深い問いです。」
しかし、音楽が世界の振動と共鳴しうるものだとするなら、私たちは標準化された音に飽和した日々の中で、音楽の深い響きに耳を傾ける時間を、果たして取っているでしょうか。音楽を探索するように聴く時間を、どれほど持てているのでしょうか。こうした問いは、オリヴィエ・フローリオの作品を聴く中で、静かに感じられます。彼の作品は、音の波にそっと身を寄せるように、私たちを音そのものへと導きます。ネットワークから一度距離を取り、自分自身へと立ち返り、引き伸ばされた時間をあらためて生きることへの招待でもあり、世界やテクノロジーとの関係を、新たな形で結び直すことを意味しています。
ここで想起されるのが、ニーチェの思想です。彼は、芸術にその実存的な価値を取り戻し、単なる社会的娯楽の地位から引き上げ、問いとして立ち上げること…すなわち、芸術と人生、そして知識との関係を問い直すことを目指しました。ニーチェにとって音楽とは、その時代の価値観を映し出すものでもありました。 歌や踊り、楽器が社会的な営みと切り離されて存在した文明はありません。 そう考えると、今日、公共空間や私的空間に絶えず流れ続ける音楽は、私たちに何を語りかけているのでしょうか。それは、私たちの時間感覚や世界との関わり方を知らず知らず狭めてはいないでしょうか。そしてそこから、私たちの時代や世界意識はどのように浮かび上がってくるのでしょう
今日のハイブリッドな音楽は
やがてスタンダードになる
オリヴィエ・フローリオ
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